シルクロードにロマンを感じてみた

毎週3時間予習した

平成31年4月から令和元年7月にかけての4か月間、学問への扉「シルクロードを読み解く」の授業に受講生として参加した。受講のきっかけは単純だ。ニュースレター第5号の記事作成時に読んだ「学問への扉」教員向け資料にシラバスが掲載されており、「専門家でも大変そうな古文書の解読を一回生にやらせるって本気(マジ)だろうか」と興味を持ったのである。幸い担当の坂尻先生は同じ部局で、もちろん知り合いである。こっそり後ろの方で受講させてもらおう。教員が受講しているというと学生に変な顔をされるかもしれないから、学部生は無理でも院生のふりをしよう。……というささやかな願望は初日に打ち砕かれた。学生は気を遣って「院生ですか?」と訊いてくれたものの、授業開始早々坂尻先生に「あの人教員です」とバラされたのである。

ラクダ科の祖先は北アメリカにいた

バラされたからには仕方がない。教員としてのプライドをかけて本気で受講するしかない。異分野(生物学)の教員がシルクロードの授業を通して何を考えているのかを伝えるのも面白いかと思い、ラクダについてレクチャーする時間を10分ほどいただいた。ラクダをテーマに選んだのは、初回の授業時に「シルクロードといえば」の連想ゲームで挙がった生物だからである。ラクダ科の進化史を繙くと、環境の似通った東西方向には移動しやすいが、南北の移動は(気候変動がない限り)苦手だ、ということが見えてくる。これはユーラシアの交通網が南北に比べて東西方向に発達したこととも共通する。ラクダもヒトも似たようなものなのだ。

授業の主な内容は、敦煌で発見された10世紀前後の文書を読み、様々な手がかりから当時の生活や情勢を推察することである。文書(もんじょ)とは、相手に用件を伝えるために書かれた文書(ぶんしょ)を指す。今回の授業で題材として使われたのは、プライベートな文書である。当時の文書には、現代日本の手紙と同様、時候の挨拶をはじめとしたフォーマットが存在する。定型文を手掛かりにすれば、多少字が読みにくかったり部分的に欠けたりしていても、何とか読める、というわけだ。それでも読めない時は異体字を片っ端から調べたり、中国語がわかる学生に頼ったりする。解読できた字のパーツから、他の字が解読できることもある。略字や誤字の多さに学生が戸惑うこともある。そして学生たちはリアルな学問に直面するわけだ。実際の研究の世界では、全ての資料が教科書のようにキレイに整形されているわけではないし、全ての疑問に対して答えがあるとは限らない。よくわからない泥沼にタモ網を突っ込んで、何かが出てくればラッキー、たいていは空振りだったり、タモ網が破れたり。そうやって試行錯誤していくうちに、だんだんと方法論を体得して何かの成果をつかめるようになっていく。

文書からわかることは多様だ。当時の敦煌近辺で、人の往来はどの程度あったのか、人々はどんな時に、どのように手紙を届けていたのか。どのような人が手紙を書き、受け取り、運んだのか。もちろん一件の手紙からすべてがわかるわけではない。敦煌で発見された文献に限らず、様々な記録を複合的に眺めることで当時の状況が見えてくる。その知見をもとに、一つ一つの手紙の内容への理解をより深めることもできる。

授業では3件の文書を読んだ。1件当たり3回程度の授業を使って、文章を解読し、発信者と受信者の関係などを整理した。14回目の授業では、学びの成果発表として、3件目の文書をもとにした寸劇の作成と発表をグループごとに行った。その場で劇を演じるグループもあれば、スライドショーを使って紙芝居形式で発表するグループ、1週間の準備期間の間に映像を作成したグループもあった。寸劇形式にすることで、学生が当時の状況を具体的に考え、理解を深めるきっかけとなったようだ。

私のグループは、とある学生の「手紙を主人公にする」というアイディアを(深夜のノリだから恥ずかしいという本人の意見をよそに)採用した。特に「細かく折られて体が痛い」というモノローグは秀逸だった。「手紙が細く折られて運ばれた」という、手紙の本文にはない情報を表現しているからだ。紙質や文書の状態など本文以外から得られる情報も見落とさない、というのが文書から最大限の情報を引き出すコツなのだ(ドヤ顔)。

合格だって、わーい。何に合格したのかはわからないけれど。

というわけで13回(出張で2回ほど休んだ)にわたる挑戦は終わった。快く受講を承諾してくださった坂尻先生、暖かく受け入れてくださった受講生のみなさま、ありがとうございました。

あとは単位である。この「学問への扉」は合否科目だが、果たして……あ、履修登録を忘れていた。どうしよう。